前編を読む

だるま商店の描く絵には、中毒性がある。

一度見たら忘れない。そして一度見たら、また見たくなる。「だるま中毒」を生み出しているのが、ド派手な色彩・極彩色だ。彼らが極彩色を使い、作品を通して描いているのは、日本を代表する美意識、わび・さびの対極にあるものだ。

今蘇る、神話の世界

だるま商店の絵は日本の神話の世界にも挑戦する。『天岩戸鈿女乱舞笑図』は『古事記』をもとに描かれた「笑いの神様」のだるま商店流超解釈。

「笑いは最高の感情だと思います。多くの人を笑わせるのは、悲しませたり、怒らせたりするよりも遥かに難しい」と語る島。極彩色で表現されているのは、笑いの本質だ。

『天岩戸鈿女乱舞笑図』 / アメノウズメのモチーフは、なんと岩崎宏美のモノマネをしてるコロッケなのだとか。

「笑いの尊さを表現しようと描いたのが、神話に残る笑いの神様・アメノウズメでした。断片的な記述ですが、日本の神話である『古事記』には、太陽の神である天照大御神が『天の岩戸』に隠れ、世界が暗闇に包まれてしまったという『岩戸隠れ』という伝説が残されています。隠れた天照大御神を引っぱり出すために活躍したのがアメノウズメ。アメノウズメは太陽の神を引っぱり出すために笑いの力を使うんです。

なんと性器を放り出して八百万の神様の前で踊ったと書かれています。八百万の神様は酒を飲み、食べ物を食べてみんな大笑い。神話となって今に伝わっている場面ですが、今も昔も、笑いの力、そして人が感情を揺り動かされる瞬間はあまり変わっていないようにも思えるお話です。そんな究極の笑いを表現しています」(島)

この絵は、笑いは神様を動かすほどの力を持っているということを教えてくれる。きっと一部の人を除いては、『古事記』の内容を知っていたり、読んでみようする人はいないだろう。古事記は分からなくても、この絵の中に日本の古い神が残した大切なことを受け止めることができれば、それはある意味では古い神との出会いでもある。

「僕らは本当に絵を描けるとこに描いてるだけなんです。絵を描けるところをいろいろ与えてもらって、その都度勉強して、今のような描き方になった。今も昔も勉強はしているけど、どこに描くべきかは考えてない。それがだるま商店なんです」

と島は話す。そんなだるま商店が描く場所は、ときに文化財が数多く並ぶ寺社仏閣だ。敷居が高く、保守的なイメージが漂う日本の寺社仏閣で彼らはどんな気持ちで筆をふるうのか。

「本来、日本の美術は保守的ではありませんでした。たとえば狩野永徳も、あの当時は存在しなかった『金箔に絵を描く』という技法をやってのけて注目されました。それは、絵をコンピュータで描くということが存在しない世界に、いきなりコンピュータ・グラフィクスの絵が登場するようなものなんです。この新しさの虜になった織田信長などの当時の有力者がスポンサーにつき、寺社仏閣に採り入れられた。このように日本美術は本来、新しいものこそを受け入れてきた。僕たちもそうした期待にこそ応えていきたいと思います」

おごそかな文化財の中に佇むコンピュータ・グラフィックスで描かれただるま商店の絵。革新はいつも、こうした違和感を持っているものなのだろう。

極彩色梅匂小町絵図 / 小野小町が晩年を過ごしたと言われる京都・小野にある真言宗大本山随心院の襖絵として描かれた作品。小野小町の生涯を、逸話・神話とともに描き出している。

極彩色の鮮やかな夢

だるま商店が絵に用いるド派手な色彩・極彩色は、実は日本古来から使われてきた昔の色彩だ。コンピュータ・グラフィックスを使って描くことで、今はもう失われた「昔の絵の具」で絵を描くことができるという。

だるま商店は豪奢趣味や酔狂で極彩色を用いているわけではない。かつて絵の具として使われていた鉱物や顔料、染料などを資料で調べ、それらを忠実にCMYKに変換することで色を生み出しているのだ。場合によっては過去の技術を今に受け継ぐ職人に現物を見せてもらって色をつくることもあるという。

「僕たちの多くは現代に残った、色褪せた美術作品などの色彩が昔の世界の色彩だと思っていますが、実際はもっと色鮮やかだったのだと思います。

昔は電気もなく、今のように煌々と照らす照明の光がない世界です。お寺も真っ暗でした。そこで使われていた色が、僕たちが使っている極彩色でした。暗いお寺のお堂の中で、襖をパッと開けたときに目の前に広がる極彩色の壁画。今とは比べ物にならないほどに神々しく見え、人々の心を揺さぶったのだと思います。それはまるで、照明で照らしだすことで世界観をつくる舞台芸術と似ているのだと思います。僕たちの絵では、そうした極彩色が歴史の中で持ちあわせてきた意味合いも再現していきたいと思っています」

と安西は語る。また、だるま商店が極彩色にこだわるのは、「わび・さび」の対極にあるもの、つまり日本を代表する美意識へのアンチテーゼを描きたいという思いがあるからだという。

「そもそも、わび・さびの美意識は戦国時代に生まれました。豊臣秀吉に集まった富と権力に照らされたド派手な豪奢趣味とコントラストを成すようにして生まれたのが、千利休の『わび茶』に代表される、静寂と古びた趣を大切にする、わび・さびの美意識です。言ってみれば、強い光の当たるところに濃い影が生まれるようにして生まれたものです。

時代が変わっても、わび・さびが世界中の人々から美しいと思われるのは素晴らしいことです。しかし、改めて現代を見つめてみると、戦国時代と違ってもっといろんな色彩が溢れている。ものも、人も、価値観も多様化している。その中にあって、わび・さびだけが日本を代表する美意識だと思われ続けるのは不自然です。僕たちが極彩色を使って絵を描いているのは、そうしたわび・さびだけが日本の美意識だと思われる風潮へのアンチテーゼのひとつになりたいという気持ちがあるからです」(島)

連綿と続く革新によって生み出されてきた日本美術。だるま商店は、そこにコンピュータ・グラフィックスと極彩色に彩られた鮮やかな夢を、これからも描いてゆくのだろう。

安西によるライブペインティング。寺社仏閣からクラブイベントに至るまで、さまざまなシーンで描かれる、まさに“和製グラフィティ”



<終>

取材・テキスト / Akihico Mori
写真 / 高木孝一


だるま商店公式サイト
http://dalma.jp/

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