前編を読む

27歳にして、10年間プレーしたアルビレックス新潟からHJKヘルシンキに移籍し、デビューシーズンから大活躍を見せた田中亜土夢。どんな困難も受け止め、楽しみ、自分の推進力に変えていく田中は、中学生のときから常に心に描いた「未来」を目指して生きていたと言う。2016年のシーズンではよりチームの支柱となりながらも「このままここに留まる気はない」と断言する彼が語る、シンプルな哲学とは? 彼が目指す未来は、どこにあるのだろうか?

日本代表選手になるために、一歩を踏み出した

「僕は、基本的にあまり先のことは考えないんです。見据えるのは、目の前のことだけ。いまは、もっとサッカーが上手くなること、ですね」

田中の考えは、シンプルだ。複雑な予想図を描いたり、プランを練ったりすることはない。しかし、そんな彼でもずっと心に抱いている目標があると言う。

「日本代表です。海外に飛び出したのも、この夢を叶えるためですから。でも、そのためにやるべきことは結局『目の前のこと』——サッカーが上手くなることなんですよね」

HJKヘルシンキに移籍して2年目となる2016年のシーズンは、開幕戦で2ゴール、開幕4試合で4ゴールを決めた。Jリーグ時代から含めて、自身最高のスタートダッシュだ。

「HJKでの1年目、ゴール・アシストとも自己最高の結果を出せたので、それを超えるという自分に対する期待感は持っていました。一方で、昨年は自分自身の結果を残したいという意識が第一にありましたが、今年は『チームために』という考えを強く持つようになっていて。ゲーム全体を見渡し、決めるべきところではゴール前のいいポジションに出ていく——。そんな余裕があったことも、ゴールが続いた要因だと思います」


しかし7月、ヨーロッパリーグ予選・3回戦、スウェーデン・イエテボリとの試合中に骨折。チームを牽引する田中を欠き、HJKヘルシンキは予選敗退。シーズン後半もフィールドから姿を消した。

それでも田中はしっかりと前を見据え、ケガが治ったらよりレベルの高いリーグに行きたいと語る。

「フィンランドリーグは僕が初めての日本人選手で開拓した『道』を作れたと思っています。だから次は僕が先へ進むことでフィンランドリーグを経由してステップアップするというこの先の『道』を作りたい。次に続く選手たちに、ここに来ればチャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグに挑戦できるんだというストーリーを、現実のものとして見せてあげたいんです」

しかし、海外のトップリーグからオファーを受ければ、さらに厳しい競争が待っている。その中で勝ち抜ける自信はあるのだろうか?

「もちろん。2015年、ヨーロッパリーグのプレーオフでロシアのチームと試合をしたとき、結果だけ見れば僕らは完敗しました。でも、僕は『敵わない』ではなく『あっちのチームで戦ってみたい』と素直に思えた。僕は欧米の選手に比べれば小柄ですが、技術を武器にすれば十分に戦えるレベルにありますから」

田中の言葉は、力強い。自分を信じているし、そのための努力もしている。「オファーは必ず来る」と信じて待っていたときのように、ヨーロッパの強豪チームへの移籍は、彼にとって確かな未来なのかもしれない。

試練は、新しい自分を発見するチャンス

田中は昔からマイペースで、そのせいか、自分で決断したことは途中で諦めたことがないそうだ。中学生のときにはプロサッカー選手になると決めていたから、高校を選ぶときも出身である新潟を離れ、スポーツのレベルが高い前橋育英高校に進学している。

多くの人にとっていつの間にか「思い出」になってしまう思春期の夢も、田中にとっては当たり前に「叶えるもの」だった。自分が決めたことは貫き、人に反対されても揺るがない。彼は自身をマイペースと呼ぶが、もっとふさわしい言葉があるとすれば「泰然自若」だろう。この言葉がここまでフィットする人は、なかなかいない。田中にとって、ライバルや影響を受けた選手はいるのだろうか?

「同年代の選手が日本代表に入っていれば気になります。海外移籍すると聞けば、どのチームに行くんだろうとは思う。でも、誰かを意識しても、自分がやるべきことは変わりません」


サッカー選手にとって、メンタルの強さは欠かせない素質だ。地響きが轟くスタジアム。自分の動きをじっと見つめる何万という目。ゴールが決まれば歓声を上げ、外せば落胆や失望、ときに怒りの声が響く。並大抵の精神力では、平常心を保つのは不可能だ。そんな状況でも確実にゴールを決めてきた田中の胆力は、はじめての海外生活でも存分に活かされている。

「フィンランド語なんてほとんど知らないから、スーパーでの買い物もままならないんです。でも、周りの人に聞けばいい。小さなハプニングは日常茶飯事ですが、それも楽しくて仕方ないですね。文化や環境、価値観の違いに触れる日々はとにかく刺激的です」

気温が氷点下でも、赤ちゃんを乗せたままのベビーカーを外に置いて大人はレストランで食事するんですよ、信じられないでしょう、と田中は笑った。

田中は、環境の変化や挑戦を愛することができるのだろう。違いに優劣をつけることなく、あるがままに受け止めて楽しんでいる。初めて海外移籍した田中が「10番」を任される理由は、この人間的な安定感にもあるのかもしれない。

「試練って、新しい自分を発見するチャンスなんですよ。それまで知らなかったことに挑戦すると、一瞬はしんどいもの。でも、それをとおして新たな自分と出会うことができる。僕は、自分が知らない自分を、もっと見てみたい。

それに、サッカーは世界共通の言語です。サッカーを通すことで、世界中どこだって生きていける自信があります」

挑戦するためには自信が、自信を持つためには挑戦が必要

「ヨーロッパへの挑戦で、僕は自分に対する期待値が大きく上がったんです。田中亜土夢は、もっとやれるぞって」

田中には、エネルギーが切れるということがない。サッカーでも人生でも、「いまだ」と思ったら反射的に動いてしまうのだ。

「『こうしたい』と思ったときに挑戦するためには、自分に自信を持っていることが大切です。僕は、自分が10年間やってきたことは間違っていないという自信があったから、怖くなかった。じゃあ、どうすれば自信を持てるか? 挑戦し続けるしかありません。挑戦と自信はセットで、お互いに増幅しあうんです」

それは、歩みを止めず、常に挑戦し続けなければならないということでもある。厳しい道だ。「常に成長したい」と上を向き続け、困難をも楽しめる田中だからこそ、「挑戦」と「自信」をバランスよく育てられたのかもしれない。

 無謀な挑戦を自らの努力と信念で確信に変え、決して夢を「夢物語」で終わらせない田中亜土夢。この2年で、その名前をヨーロッパに知らしめた。かつて本田圭佑がオランダの2部リーグからロシアの強豪チームを経てACミランに移籍したように、遠くない未来、ドイツやイタリアで活躍する田中の姿を日本から応援できるかもしれない。もちろん、日本代表として三本足のカラスを胸に戦う姿だって。



<終>

取材・テキスト / 田中裕子


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