前編を読む

ファッションを憧れられる世界にするために

江幡が参加する「THE HAPPENING(ハプニング)」は、「日本のファッションシーンを変えたい」という思いのもとに2014年に発足。日本のファッションデザイナーを世界へとつなげる日本のプラットホームとなり、アジアのデザナーによる「ASIA COLLECTION」の開催を目的としている。これまでに表参道や東京メトロ銀座線の駅構内や電車内で、「KOSHIRO EBATA(コウシロウエバタ)」を含む参加ブランドがゲリラ的なファッションショーなどを行ってきた。

スタイリストの伏見京子が中心となって発足した同プロジェクト。ファッション批評家の平川武治やジャーナリストの生駒芳子など、日本のファッション界を代表する重鎮がプロジェクトメンバーに名前を連ねる。江幡が「THE HAPPENING」に参加したのは、ショップ時代の「GARTER(ガーター)」に足を運んでいた伏見京子が声を掛けたことがきっかけだ。

THE HAPPENING 展示会の様子

「『THE HAPPENING』でやりたいことはたくさんあるんですけど、大きく言えば、もっと若い人に憧れられる業界になったほうがいいんじゃないかなって。デザイナーっていうよりも、日本のファッション業界がですね。他の業界に比べると、勢いがないなって思いませんか? 建築とかインテリアのほうが、日本人デザイナーでかわいいデザインが多いですよね。だから、みんなファッションよりも、そっちに行っちゃうんじゃないかな。学生に会わないんで、わかんないですけどね」

「名古屋に住んでいたときは、『地元のお洒落なショップ店員さんと話してるおれ』みたいな気持ち、ありましたよ。言われるがままにジーパン買って(笑)。店員さんに『マルジェラって知ってる?』(※マルタンマルジェラ)なんて言われたら、『教えてください!!』って。先輩の大学生は、高いブランドの服を24回払いで買ってたり」

高校生の頃、『COMME des GARCONS(コムデギャルソン)』や『UNDERCOVER(アンダーカバー)』の服を見て、「ああいうブランドをつくりたいなと思った」という江幡。だからこそ、服よりもデザイナーの名前で販売する戦略や、海外で買った服のタグを付け替えているだけのような一部のブランドが人気を博していることには、違和感を覚えるという。大事なのは、心が動くものづくりだ。

「高校生が見て『やばくね?』『すごくね?』みたいな。このファッションショー見てみたい、とか。そういうものがないと、ファッションに興味を持つきっかけにならないじゃないですか」

江幡自身がファッションデザイナーであることはもちろん、ショップのオーナーとして数々のデザイナーの行く末を見届けてきたことも大きい。才能を持ちながらもブランド活動を休止したり、デザイナーを辞めていく友人の姿を間近で目にしてきた。

「企業の社員として働くデザイナーなら、才能を買われて入社したのに、求められるのは売れ筋のデザインばかりとか。もちろん、全部が全部そうじゃないと思うんですけど。あとは個人で活動しているデザイナーなら、才能があっても世間に知られていないとか。要は、食べていけないっていう。……単純に、続けて欲しかったなって。その人たちのつくるものが好きだったから。バイイングする人も『こうするといいよ、ああするといいよ』ってアドバイスしてる内に、みんな同じもんつくり出すみたいな。それ以外にも、いろんな要因があると思うんですけどね。文句言うつもりはないですよ。僕なんてペーペーですし。それに、みんな必死なんで。それはわかるんで」

視線を落としてぽつりと話す江幡の様子から、その心情がうかがえた。それは同時に、『THE HAPPENING』に懸ける思いの強さの表れでもある。江幡は同プロジェクトで、デザイナーマネージメントを行えるようにしたい、と話していた。

「モデルやスタイリストには、マネージメント事務所がありますよね。でも、デザイナーにはそれがない。例えば、学校で服のつくり方を学べても、バイヤーとのやりとりや衣装製作の仕事の取り方は学べない。僕はラッキなー出会いがたくさんあって、周りの人に教えてもらえたんですけど、知らない人も多くって。だから、『THE HAPPENING』がデザイナーたちにとっての、仕事のプラットホームになれればいいなって思います。海外の『ショールーム』に近いかなと思うんですけど」

海外には、ファッションブランドの営業を代行する「ショールーム」ビジネスが存在する。営業力のない小さなブランドや、拠点を持たない海外ブランドを小売店へと売り込む存在だ。江幡は「ショールームよりも一歩踏み込んだマネージメントが実現すればいい」と続けた。

「『THE HAPPENING』が月に1本でも衣装製作の仕事を紹介することができれば、オリジナルブランドの作品が売れなくても食べていけるかもしれない。そうすればデザイナー人口が増えるし、その分、ユニークな作品も世に出やすくなるじゃないですか。もちろん、僕自身もそこにあやかりたい」

デザイナーのものづくりの環境を整えることで、より純粋で、個性の凝縮された作品が生まれる。そうすることで、日本のファッション業界が底上げされ、憧れられる世界になる。デザイナーを目指す人口が増えれば、さらに多くのクリエイションが生まれ……という循環を、江幡は思い描いている。

THE HAPPENING 展示会の様子

“やりたいこと”だけやりたい

2014年12月、江幡はショップとしての「GARTER」を翌月限りで閉店し、ギャラリーとして運営していくことを発表した。このことは、複数のファッション系ニュースサイトで取り上げられた。

「お店を運営していくのが大変だったんで。売り上げとかじゃなくて、仕入れしたり、企画したり。自分の中で、服づくりに集中したい気持ちがどんどん強くなっていったんで『もうやめよ』って。なので、前向きにやめました」

2016年の春夏コレクションを発表するにあたっては、オリジナルブランドの名前を「GARTER」から「KOSHIRO EBATA」に改称。自分の名前をブランド名としたことに、彼の服づくりへの思いが透けて見える。国内での展開を広げるのはもちろん、海外進出も見据えている。


「(『THE HAPPENING』のメンバーでもある)平川さんに、パリに行ったほうがいいと言われて。『パリでは、モードが生きている。本当にかっこいいものをかっこいいと言えるような世界が、パリにはあるから』って。でも、向こうに行く前にまだ勉強したいことがあるから、もう1年は日本にいたいって言いました。まだ、恥ずかしくて見せられないような部分があるんで。鉄棒に例えると、もう少しで逆上がりできそうなんすよ。それが後、1年くらいかな。そのときにはパリでやるんで手伝ってくださいって、平川さんには言いました」

おどけるように、最後に「……確か」と付け加えたのが彼らしい。自身のブランドと「THE HAPPENING」の展開を広げていくほかには、2015年にギャラリーとして再出発した「GARTER」にも力を入れていきたいと話す。

「このギャラリーをおもしろくしたい。無茶苦茶なことをしたいですね。服屋だとファッション好きの人しか集まらないけど、いろいろできる空間にすれば、 いろんな人が集まるじゃないですか。ギャラリーは、人と出会いたくて始めたんですよね。ファッションばっかりやってちゃ、つまんねーなっていうのは常々あったんで。……わがままなんですよ。ほんっっっとに、よく言われます。やりたいことだけやりたい感じですかね」


取材を終えて商店街を歩いていると、「じゃ、お疲れさまでしたー!」と言って、江幡が取材スタッフを追い越していった。再びビールを買うらしい。 夕食どきで賑わう商店街を歩く人々は、コンビニエンスストアへと入っていった彼が何者かをまだ知らない。それどころか、日本のファッションデザイナーで思い浮かぶ人物すらいないというのが多数派だろう。江幡がつくり上げる大きな渦は、この雑踏をも巻き込むことができるだろうか。数十分前に、彼が話していたことを思い出す。

「今はまだ力量が狭くてできていないんですけど、もっとエンドユーザーが着られる優しい感じの服もつくっていきたいなって。やっぱり、自分がつくった服を着てもらえるのってうれしいですよ」

飾らない素直な言葉と、実直なものづくり。大きな希望をはらんだ渦に、引き寄せられる。

<終>

取材・テキスト / 石川裕二
写真 / 石川裕二

KOSHIRO EBATA OFFICIAL WEBSITE
http://www.garter-tokyo.com

  • このエントリーをはてなブックマークに追加